大阪NOREN百年会 瓦版
大阪NOREN百年会 かわら版

浪速・商人・老舗・歴史 大阪「NOREN」百年会 かわら版 <2011 第28号>

浪花百景「住吉本社」


国員(くにかず) 画


八軒屋夕景

 住吉大社は古来より航海守護・祈雨(きう)・和歌・国家鎮護(ちんご)その他の神として、

 朝廷・武家から庶民にいたる幅広い崇敬(すうけい)を受けつづけ、今なお多くの参拝者 を集めている。

 四棟の本殿を囲むように25の境内社(けいだいしゃ)が祀(まつ)られ、さらに4つの境外社がある。

 現在の本殿は文化7年(1810)に造立(ぞうりゅう)されたものだが、住吉造(すみよしづくり)と称する

 神社建築史上もっとも古い様式のひとつを今日に伝えており、四棟とも国宝に指定されている。

(「特別展 浪花百景ーいま・むかしー」大阪城天守閣編集)より


大阪再発KEN記(12) 松葉 健

〜松の内。住吉大社へお参りに〜


松の内。住吉大社へお参りに

正月の住吉さんは初詣の人で満員の盛況だが、それが活気になって人を呼ぶ。
松の内が過ぎる頃には住吉さんのタイコ橋(反橋)も渡れる余地ができて、子供連れもちらほら・・・。
タイコ橋は爪先を穴にかけて上り下りするので、思うよりむずかしい。
住吉さんのお参りのあと、東門から境内を出ると、静かな住宅地。
もとの阪堺線まで戻るには坂道を下ることになり、
東側は上町台地だと気づく。
周辺に末社が多いのに驚く。
熊野街道や住吉街道など昔をしのぶ歴史の町だ。
少年の頃、父と歩いたのに何も言わなかった。
現存する味噌の池田屋で買い物をして坂を下りたのは、もう65年程前だったか・・・。

大阪故郷(ふるさと)10 〜住吉大社〜

大阪人は住吉大社を「すみよっさん」と愛称で呼ぶ。街角で立ち話をしている人の会話に「すみよっさん」が出てくると、必ずお正月の初詣や、水面に華麗な影を映す反橋(太鼓橋)や、 赤いたすきと早苗の緑が美しいお田植え神事の話題が登場する。深い木立に囲まれた4棟の本殿、大阪・堺をはじめ全国の商人から奉納された600基を超える石燈籠など、 親しみ深くかつ荘厳な情景が浮かび上がってくる。

住吉大社は、今から1800年前の古代、神功皇后をこの地に導いた海の神と、神功皇后自身を祭神とする。古くは住吉津(すみのえのつ)から大陸へ向かう遣唐使等の航海安全を守るとともに、 祓(はらい)の神・和歌の神として日本の心を伝え、以来民衆には神仏習合の祈りの場として今日に至っている。

境内は約10ha(3万坪)の神域である。第一底筒男命(そこつつのをのみこと)、第二中筒男命(なかつつのをのみこと)、第三表筒男命(うわつつのをのみこと)の3海神の本宮が東から西へ一直線に並び、 神功皇后を祀る第四本宮が第三本宮の南側に位置している。4棟の本殿はいずれも丹塗・桧皮葺・切妻造り妻入りの「住吉造」と称し、文化7年(1810)に造営された現存のものは、 特色ある神社建築として国宝に指定されている。

境内には、その他「玉の井」と呼ばれる大海神社の井戸、豊臣秀頼が奉納し、日本三舞台に数えられる重要文化財指定の「石舞台」、さらに後醍醐天皇の故事に由来する慈恩寺跡の 「車返しの桜」などがあり、近現代関係では、反橋(太鼓橋)について母の思い出を記したノーベル賞作家川端康成の文学碑が反橋の南、池の畔(ほとり)に立っている。

住吉大社へは、南海電鉄住吉大社、または現在市内で唯一の路面電車である阪堺電軌住吉鳥居前下車すぐである。 なお、平成23年5月12日(卯年卯月卯日)には、住吉大社御鎮座1800年の記念大祭が斉行される。

大阪故郷(ふるさと)10 〜住吉大社〜

なにわびと

大塩平八郎 〜窮民救済、幕藩体制を揺るがす〜

 大阪人を代表する歴史的人物の一人、大塩平八郎(号は中斉)の墓は、北区末広町の成正(じょうしょう)寺にある。 扇町公園の南側道路を渡ってすぐの古寺で、境内顕彰碑に「東町奉行所与力で陽明学をおさめ、天保8年(1837)民衆の窮状を救おうと決起したが、事敗れて自刃(じじん)した」とある。 与力は奉行所の下級役人のこと。陽明学は儒教の一派で、私欲を捨て良知実行を思想とする学問。平八郎は、現在の造幣局構内に家塾「洗心洞(せんしんどう)」を開いて塾生の指 導にあたっていた。

風雲急の幕末、諸国では凶作による飢饉が起こり、大坂周辺でも淀川の洪水が続発、天保5年には大坂市中の堂島で大火が発生して29か町が焼失するなど、飢えと物価高騰に苦しむ民衆の 惨状はその極に達した。平八郎は所蔵する書籍類をすべて売り払って窮民に施与する一方、奉行所を説得して窮民活動を進め、さらに豪商に掛け合って大名貸しの中止を策動して民衆援助に奔走した。

それでもなお、「役人どもは身上を肥やすことに狂奔し、民の艱苦(かんく)を顧みず。万民飢餓死に及ぶも手をつかねている」と塾生に訴え、「天道に代わ って諸人救出し、奸曲(かんきょく)の豪商・役人に 目に物見せてやる」と叫んで武器弾薬を集め、遂に同志相計り決起した。家塾「洗心洞」に火を放ち、役人の屋敷に大砲を撃ち込む。「寺町、天神宮、興正寺へ火矢、鉄砲・・・猛炎天を焦がし、諸人私欲を離れ、 我先に逃亡」(『見聞録』)、市中は大混乱を呈した。

決起は2月19日午前8時だが、午後になって奉行所が出動し、大火の中合戦は終わり、平八郎は1カ月の逃亡の後自刃した。 56歳の激しい生涯であった。大塩は窮民のみならず、封建社会の立て直しのために挙兵したが、意図とは別に、乱は反封建的な各地の一揆へと広がり、結果として幕藩体制の弱体化につながっていった。

住吉大社にある大阪最古の図書館「住吉御文庫」には、大塩平八郎自身が奉納した『洗心洞剳記(さっき)』初版本が保存されている。

大塩平八郎 〜窮民救済、幕藩体制を揺るがす〜
大塩平八郎

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