大阪NOREN百年会 瓦版
大阪NOREN百年会 かわら版

浪速・商人・老舗・歴史 大阪「NOREN」百年会 かわら版 <2007 第24号>

浪花百景「毛馬」


南粋亭芳雪(なんすいていほうせつ)画


毛馬

 江戸時代中期の俳人・画家として知られる与謝蕪村の生誕地・毛馬は、淀川が中津川を 分岐して大きく湾曲するところの左岸に位置し、対岸の長柄と毛馬渡しで結ばれていた。
錦絵には、淀川を遡る三十石船が描かれているが、『淀川両岸一覧』によると、上り舟の 場合、天満川崎で水主は上陸し、そこから右岸の木材堤を長柄三ツ頭まで引っ張り、ここで 対岸の毛馬に渡って赤川まで引き、さらに右岸に渡って柴島から江口まで引き上げたという。 (「特別展 浪花百景ーいま・むかし」大阪城天守閣編集)より
 淀川は京伏見・大坂天満八軒家間を結ぶ交通の大動脈であった。三十石船は28人乗りで、 下りは流れにまかせて運航できるが、上りは流れに逆行するので、錦絵に描かれているように 人力で堤防沿いの道から肩綱を曳いて上流に引っ張り上げる方法がとられた。
 三十石 船の船客目当てに、毛馬からは飯・汁・酒を売る煮売茶船が出た。特にあぶった餅に味噌を まぶした「田楽餅」は名物であった。淀川を舞台に商う煮売り船では枚方の「くらわんか船」 がその名を今に伝えている。


大阪再発KEN記(8) 松葉 健

<モダン大阪の頃>「千日前・楽天地」


モダン大阪の頃

明治45年ミナミの大火の跡に地上3階・地下一階の殿堂「楽天地」ができたのは大正2年2月である。
「楽天地」は大劇場が2階にもあり、映画、漫才、奇術、曲芸、浪花節、少女琵琶歌劇、回転木馬、ローラースケートに水族館などもあって楽しさのてんこ盛り。
不夜城と呼ばれた「楽天地」は千日前の輝く星だった。
千日前には、明治10年頃、活動写真の第一電気館や明治42年頃はもの言う活動写真があったそうな。
新世界が名もない頃、「第2千日前」と命名する候補にしていたくらいだ。
時は移って昭和七年十月、楽天地跡に歌舞伎座ができた。収容観客数三千人というビックな劇場は、まだ記憶にある人も多いだろう。
街の変貌は激しい。歌舞伎座が難波へ移転し、あとに千日デパートとなり火災・・・。
そして現在電化製品の大型販売店として若い人たちを呼び込んでいる。

大阪故郷(ふるさと)6 桜之宮〜毛馬、そして歴史小公園

明治100年事業として昭和42年、大川両岸の毛馬桜之宮整備拡張計画がスタート、下流の天満橋付近から毛馬までの4.2キロが美しいリバーサイドパークとして甦った。その途中、大川をまたぐ自転車歩行者専用の春風橋、飛翔橋が完成、新しい毛馬閘門と水門(洗堰)が竣工した。
川沿いの自転車歩行者道が尽きるところ、ゆるい坂をのぼって堤防に出る。空青し、水清し、緑一望にして広し。堤防道を駆ける人びと、淀川河川公園のテニス場・サッカー場・野球場に歓声をあげる人びと、釣竿をのばす人、青草に円座して食事を楽しむ人、そして歴史を探索する人びとー。

堤防に上がってすぐ右に与謝蕪村生誕地の碑と有名な「春風や堤長うして家遠し」の句碑が立っている。俳人であり画家でもあった蕪村は江戸時代享保元年(1716)、ここ毛馬の地に生まれた文人。
左へゆくと巨大な鉄扉に「毛馬こうもん」とあり、思わず立ち止まって、船が入る函内を覗く。水門の背後を向こうに渡ると、明治の旧洗堰跡や閘門跡、淀川改修に功あった沖野忠雄の胸像などが緑陰に点在し、さながら歴史小公園の趣あり。毛馬は水と緑に囲まれた近代大坂の歴史拠点である。

大阪故郷(ふるさと)6 桜之宮〜毛馬、そして歴史小公園

なにわびと

近松門左衛門「お初徳兵衛の『曾根崎心中』」

 井原西鶴(浮世草子)・松尾芭蕉(俳句)とともに江戸時代に活躍した近松門左衛門は承応2年(1653)越前福井に生まれた。

文学少年の10代半ばまで福井市南の鯖江に住んだが、父が浪人となったのを機に家族と共に京都に移り、太夫宇治加賀掾の知遇を得て人形浄瑠璃の台本作者となり、古典物で実力をつけた後、宝永3年(1706)54歳の時大坂に移住した。以来、商都大坂の商家等を舞台に、義理と人情の板ばさみに苦しみながら生きる町人の姿を描き出した名作を次々に世に出し、享保9年(1724)72歳でその生涯を閉じた。

近松が遺した作品は『曽根崎心中』『堀川浪鼓』『心中天網島』『女殺油地獄』など浄瑠璃110余、歌舞伎30編余にのぼるが、実際の心中事件に取材した世話物第1作『曽根崎心中』は、お初徳兵衛の恋物語として当時の町民に大評判となった。
ドラマは、堂島新地の遊女お初が、深い仲の醤油屋の手代徳兵衛から、悪友に大金をだまし取られて進退極まっていると打ち明けられたことにはじまり、万策尽きて曾根崎天神の森で心中を遂げるところで終わる。
人形浄瑠璃は、台本に太夫の語り、三味線、人形遣いが加わって舞台が進行するが、「この世もなごり、夜もなごり、死に行く身をたとふれば」にはじまる心中の道行や、腰帯で二人の体を木にしばり「なつかしの母様やなごりをしの父様や」と泣きくずれるお初の悲しくも美しい姿に、近松の情が表れて感動的である。

最近刊の『文化講座・曾根崎心中』(市立大学文学研究科編)の冒頭に坂口弘之氏(市立大学名誉教授・神戸女子大学教授)は「浄瑠璃史と近松」と題して「人とは愚かしきものなのであろう。なればこそ、またいとおかしきものなのだ。近松の人間理解の根底にはそんな思いがある」と書いている。

近松門左衛門「お初徳兵衛の『曾根崎心中』」
曾根崎お初天神通り入り口(北区)
近松門左衛門「お初徳兵衛の『曾根崎心中』」
お初徳兵衛座像

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